こんにちは。「まんまりえ」です
「たよりもりの」では「マンマリエ」という名前で登場しておりましたが、カタカナよりひらがなの方が優しい印象のような気がして変更しました。
家族は
同い年の夫、Samurai。サラリーマン。
2011年生まれのSun。
2015年生まれのMoon。
2018年生まれのOcean
の5人家族です。
「まんまりえ」という名前は本名をもじってつけました。
アクセントをどこにもおかずに平板に読んでください( ´艸`)
名前の由来はイタリア語で母を意味する「マンマ」と、
日本語で「マンマ」は「ご飯=エネルギーのかたまり」という意味と、
ありのままを意味する「そのまんま」をかけました。
母親業をする私が、ありのままの姿で発信することで、読んでくれた皆さまに少しでもお役に立てたら、という願いを込めています。
さて、私の生い立ちは、教員の父と元保育士の母親に育てられ、3人兄弟の長女(弟と妹あり)で大学卒業後は自分も教員として働きました。
・・・しかし、人を育てることの理想と現実のギャップ、
子どもがよりよく育つ環境設定に教員としてできることはほんのわずかで、家庭の影響力、何より母親にはかなわないと感じました。
わずか3年で結婚を機に教職を離れてしまったのも、そんな無力感を感じたことも一つの原因かもしれません。
それから数年、我が子に対して母としてどうあるべきか、模索の連続でした。
家庭保育園という「THE 早期教育」を始めたのはSunが0歳3か月の時でした。
しかし、知識偏重の詰め込みに感じたこと
おたよりにある事例紹介で我が子と比べては焦り、
なぜ我が子はこの子の様にできないのかとため息をつく・・・
こんな苦しい子育てでいいのか?と迷いました。
そんな私の不安定感を映したようにSunには吃音の兆候が表れ始めたのは2歳半の時でした。
「お、お、お、おかあさん」とつっかえ、スムーズに話せない様子を見せる娘。
3歳半の時に相談に行った聴覚士の先生からは
「一時的なものとも言えますが、とにかく自信をつけさせるように心がけて接して下さい」と言われました。
「自信をつけさせるように接するとは・・・?」と悩んだ時に
妹から紹介されたのが「子育ち理論」でした。
「母親は【教えない存在】」ということにまずビックリ(@_@)!!
そして、
「マネで返すこと」
「指示と労い」
「日課の安定」
全てが新鮮な視点でした。
先に受講した妹から色々聞くにつけ受講が待ち遠しく、いよいよ2016年の受講が開始しました。
遠藤さんから熱い熱い講義。
言葉はキツイようだけど、そこには子への深い愛情に満ち溢れているからこそ。
「日本の未来を担う子を育てるんだから、大変で当たり前!」と日々子と向き合うお母さんたちへの熱いエールなんだと感じました。
子育ち理論は「子育ち」(子は自ら育つ力を持っている)を手伝う「子育て」(親の役割)。
子と親のコラボレーション。
それはDNAの構造そのもの。
育児は後天的DNAだと遠藤さんはおっしゃいました。
人はなぜ生きるのか?
生まれる前にかみさまと「私は今世こんなことを成し遂げます!」と約束して降りてきたという魂。
(池川明先生による胎内記憶のお話より)
精神的自立とは「全体性のなかで生きる己を感じ、自分はこれで生きていくと使命を自覚すること」。
子育ちっ子は13歳でこの精神的自立を迎えるそうです。
魂の記憶にたどり着き、全体性の中で自分の使命に生きたらそれこそ「幸せ」なのでは、と考えます。
我が子の幸せを願わない親はいないでしょう。
私もその一人です。
私は、この子育ち理論を学び実践を通して娘を「使命に目覚める」方向へと育むこと、
そして、私自身が見失った「使命」を見出したいと思っています。
2016.10.22 追記
私は大学を卒業して、3年間教員をしていました。
1年間臨時採用で自律支援学級の担任をしてから、正規採用になりある特殊な教育方針をもっている学校に赴任し1年生の担任になりました。
その教育方針とは「生きる力を育む」という理念のもと、チャイムは鳴らさず「総合的な学習の時間」として教科の枠にとらわれずに指導を行う方針です。
ヤギを飼う学級あり、ウズラを一人一羽飼う学級あり、畑で麦を育ててパンを作る学級あり・・・と学級ごとに主になる活動があり、それに必要なこととして教科学習が存在する、という何とも初任者にはハードルが高く苦労しました。
私は一年目は近くの林で1年間活動し、二年目は畑で大豆を育てて豆腐や味噌を作る活動をしたわけですが。
私は日々「生きる力を育む」って学校の力ではどうしても限界がある、と痛感したのです。
ある一人の女の子がいました。
彼女はとても大人しいおっとりした子で、お母さんからは活発なお兄ちゃんといつも比べられていました。
彼女は何をするにもやる前から「できない・・・」と後ろ向きに取り組むことが気になっていていました。
そのお母さんと話すときは開口一番「うちの子先生にご迷惑かけてませんか?」という感じでしたので、
私は努めて「Aさんは、こんな姿があってとてもいいなと思ったんですよ」とその子のいいところを伝えるようにしました。
しかし「そうなんですか、家ではまぁぐずぐずで・・・」と、日本人特有の謙遜も入っていたとは思うのですが、我が子を認めようとしない言動に心が痛かったです。
「生きる力」って何だろう、と私は考えました。
生活リズムと衣食住を整えること、自分を表現できること、自分で自分を励ますことができること・・・
そしてそれは一日のうちのたった1/3の時間で、一人で35人を見る担任にはどうしようもできないことだらけで、
母親の意識が変わらなければ子は変わらない・・・そんな無力感でいっぱいになったことを思い出します。
私が「母親」になったらその役割を全うしたい、そう思う原点がそこにもありました。
2020.5追記
只今世間はコロナウイルスによる感染拡大防止を目指して、緊急事態宣言を出しています。
それにより、学校や幼稚園は休校・休園に…。
しかし生活ベースの子育ちは元々Stay Homeなので乱れ知らずです。
遠藤さんは子育ちっ子が落ち着いているのは
子育ち理論が生活を軸としてできているから、元々がStay Homeなんだからある意味当たり前、とおっしゃいました。
これからの時代、衣食住をしっかりと見つめなおし、子と共に確立し、
心身共に健康であることがまず大事である、ということをこの騒動が教えてくれたのではないでしょうか。
2020.11追記
コロナ禍のストレスを勉強するという方向に振り向け、教員免許を更新。
6月から市内の小学校で5年生に算数指導の学習補助講師として働き始めました。
そこで思ったことは…
学校のテストで100点を取れることと、思考力があるかどうかは別問題であること。
糸山先生が常々おっしゃっていたことは本当でした。
我が子に関心を寄せ、観察しつづけ、
親も勉強していく必要があることを感じます。