先日、Sunが幼稚園からお友達のKちゃんからお手紙をもらって帰ってきた時の物語です。
前日にSunはクラスのお友達Kちゃんから、お手紙をもらってきました。
お手紙には、「〇〇〇チャン(Sunの本名)」とカタカナで書いた名前と、似顔絵が書いてありました。
おやつを食べ終わったSunは、洗濯物たたみの指示を断り、紙を取り出しなにやら書き始めました。
私は、便せんや封筒が入った入れ物を指し示しました。
Sunはその封筒を通園バッグにしまいました。
その次の日の帰宅後、カバンを片づける時に私はカバンの中にあの手紙を見つけました。
その場では、それ以上何も言わなかったSunでした。
しかし、その夜の寝る前の「今日のお話」のとき。私が話し終わって「次はSunね」というと。
とぽつり。
と私も応え、つないでいる手をギュっと握りました。
おしまい
Sunのいじらしい姿にキュンとなってしまった私。
マネで返して、ひたすらに子のありのままの姿を受け止めようとする。
そうして、たとえ子が傷ついたとしてもそれによってたましいは磨かれ、成長していくのですから、何が起ころうと怖いことはないなぁと改めて子育ち理論への信頼を深めたできごとでした。
以前の私だったら、きっと最初にSunに暗号並みにバラバラに並んだ文字が散らばる手紙を見て、「それKちゃん、読めないと思うよ」って書き直させていたことでしょう。
それは、母親である私が彼女を否定することであって、Sunは手紙をKちゃんに手紙を突き返される以上に深く消えない傷になったに違いありません。
この物語を子育ち修了生の妹に話したら、
母親は、教えない。質問しない。間違いを正さない。
あくまでも子の内側から出ない。
そして、だれも悪者にしないのが子育ちの好きなところ。
と彼女は言いました。
母親は、ジャッジしない。怒りも、哀しみも、喜びもそのままに受け止める。
そうして子が自ら育つのを、手伝っていく。
遠藤さんは「子育ちは方法論。形式が大事であって、それを子は「愛情」として受け取る」とおっしゃいます。
私の探し求めていた子への接し方を教えてくれる「子育ち理論」と出会えたことに感謝するのでした。
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