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泣いて泣いて強くなれ

Sunの物語
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昨日の幼稚園のお迎えに行った時のお話です。
その日の朝、Sunに「今日は買い物に行くので、どうしてもお友達と遊びたかったら園庭で遊ぶだけにしてね」と話してありました。

全体で主任の先生が「さようなら」を言ってから、保護者の列に子どもたちが来て、
順番に担任の先生と「さようなら」のギュ~をするのがこのクラスのスタイル。

主任の先生の「さようなら」の後、Sunが並んでいる私とMoonのところに来ました。

おかえり~
Sun
今日さ、Sちゃんとお家で遊びたい
というSun。
遊びたいよね~。でも朝お買い物に行きますってお話したよね。だから遊びたいなら園庭だけにしてください
Sun
いやだ!いやだ!

そこにSちゃんが来て「今日、Sunちゃんのお家に遊びに行っていいですか?」と聞きます。

ごめんね。今日はお買い物に行く用事があってお家では遊べないんだ。
と断ります。

Sun
いやだぁ!!

とぐずり出すSun。

先生とさよならの時「Sunちゃんどうしたの~?」と聞かれ「今日は用事があるから遊べないよって言ったらこんなになりました(;^_^A」と説明する私。

先生は「そっかぁ、また今度遊べばいいよ。さようなら」と言って下さいました。

じゃあ、もう帰ろうか。

と私が言うと、スイッチが入ったように本気泣きが始まりました。

たくさんの親子でごったがえす園庭に座り込み

Sun
ギャ~!!ウォ~~ン

と私のスカートをつかんだまま叫び、泣きまくります。

遊びたかったよねぇ・・・

私はSunの隣に同じように座り込みます。
Moonはと言えば、私とSunの周りでつかず離れずしています。

Sunのいつもにない姿にお友達のお母さんがかわるがわる声をかけてくれます。

「Sunちゃん、どうしたの?!」

お友だちと遊びたかったんだけど、用事があって遊べないっていうことで泣いているんですよぉ。ただ今泣いて気持ちの整理をつけている最中です(;・∀・)

「そっか、それなら仕方ないねぇ」

「ど~したの?!珍しいじゃん」

遊びたかったのに、用事があって遊べないっていうことで・・・悔しい気持ちの放出中です(;´∀`)

「よしよし」と頭を撫でてくれる友達あり・・・

5分ほど経ったでしょうか。泣き声が収まってきて

Sun
もう帰る・・・

と立ち上がったSunでした。

そして門を出ると、さっき最初に声をかけてくれたお友だちがママと一緒に歩いています。

Sun
Sちゃ~ん!

と呼ぶと「一緒に帰ろうか」と、Sunの様子を心配したママが家は反対方向なのに遠回りしてうちの近くまで一緒に帰ってくれることになりました。

お友だちと手をつないで帰り、歩きながらいつもの調子に戻って行ったのでした。

おしまい

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講座の資料の中で、プロゴルファーの古閑美保選手や上田桃子選手を育てられた坂田信弘さんの「叱る力」双葉新書の文書が紹介されたものがありました。

一部抜粋します。

何より確かなことは、泣く子供ほど、強くなっていった。

(中略)

誰だって人前で涙を流すことはカッコいいもんじゃない。でも、感情が自分の限界を超えた時、自然と涙が溢れてくる。

(中略)

私がたったひとつ、ゴルフを通じて胸をはれることがあるとすれば、その泣きじゃくる子に対しての接し方である。
その涙を、私はジーッと見ていた。

一切、声はかけなかった。

ただ傍にいる。私にできることは、泣き止むまで傍にいてやることでした。
泣く子を前にして、誰よりも辛いのは親だ。しかし、泣く子に対する親の接し方には二通りある。
「泣くな!」と怒鳴りつける親。「どうしたの?よしよし」と慰める親。
なれど、子を思えばどちらも教育的に良くないと思う。

(中略)

子供が泣く。それは当たり前のことではあるけれど、泣くには子供なりの訳がある。
怒鳴りつけて泣きやましても、トンチンカンな同情をかけても、泣く子の理由の解決にはならない。それは抑圧か、あるいは逃避の術を与えるに過ぎない。
子供が泣くにはそれ相応の理由があり、その解決には、自分なりに納得しなくちゃ、解決に至らず、次に進めぬわけだ。

だから周りの者は、子供が泣き止むまで、じっと見守ってやらなきゃいかん。

口出しは無用。さりとて絶対に見放したりはしない。
自分で言うのもなんだが、その距離感がうまく取れたと、自負しておるのだ。
さらに思考を進めれば、そこには何より、忍耐と、愛と寛容が不可欠と感じている。

(後略)

また、以前ある人に言われたことがあります。
「感情はね、食べ物と同じなのよ。味わい尽くして、消化してしまえばそれは心の栄養となる。でも怒りや悲しみなどを抑え込んでしまうと、それは未消化のままに心の奥深くに沈み込んで溜まって腐敗してしまうのよ。」と。

とかく、怒りや悲しみは社会的に受け入れられないもの、と抑え込んでしがちなもの。
今回も泣きわめくSunの姿に親として辛いとともに、周りの目を気にしなかったわけではありません。

それでもSunが、「悔しい、悲しい」を出し切って消化するように、私は傍にいました。

これが子どもがいっぱいいる幼稚園だったから、あまり気にしなかったけれど、閑静な住宅街だったら・・・?
人が大勢行きかう商店街だったら・・・?冷静でいられたかなぁ、なんて思います。

OBのHRさんが以前この「泣く子への接し方」についてえんどう豆の会で経験を話して下さったことがありました。
「私ね、息子くんが小さい頃初老の男性に胸倉つかまれたことあったのよ。『小さい子をこんなに泣かして、親の顔が見てみたいもんだ!!』って」その時、やっぱり「泣くこと」について社会はなかなか不寛容だなぁ、と思ったのです。

母親がこのことを知っているか、いないかでは大違いだと思います。周りに何か言われても「すみませ~ん」と流していきましょう(*^-^*)

遠藤さんも「泣かない、泣かない!」って言われ続けた子はどんどん弱くなってしまう、とおっしゃいます。

泣いて泣いて、泣き尽くして、心の栄養を蓄えて強くなっていってほしいなぁと思います。

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