お久しぶりの更新。
というのも最近、子育ち先輩の「マツお母さん」のブログで「どんぐり俱楽部」と再会。
実は3年ほど前に、シュタイナー系の幼稚園に通っているママさんから名前だけは聞いたことがありました。
しかしその時に私が拾った情報は「学校の宿題を禁止して、親が代わりにやる」という偏った情報だけで「宿題は絶対」と思っていた私は、調べもせずにスルーしていたのでした(;^ω^)
しかし、マツお母さんの「小学校の宿題について」という記事で、糸山泰造さんに興味津々になりまずはHPを検索。
このHPがすっごく読みづらいのです(;^_^A
またYoutubeで糸山さんが2009年に講演された動画を見つけました。
この動画からさらに「どんぐり俱楽部」を知りたくなり、図書館に行って本を借りてきました。
これを読んで、スッパリと早期教育を辞める決意をしたのでした。
そして、どんぐり俱楽部の「良質の算数文章問題」を手に入れて週課として取り入れることにしました。
先日のD講座の際に遠藤さんから「今、子育ち的学習場面(学童期からの学習の取り組み)について考える時期に来ている」というお話があり、どんぐり俱楽部についてのお話もお聞きしました。
子育ち的に有力な二つのメソッドが以下の二つ
- 陰山メソッド:読み書き計算が学習の基礎(「早寝早起き朝ご飯」が基本で生活ノートまで作っている)→「生活」場面からの発生
- 糸山メソッド(どんぐり俱楽部):文章題からイメージ化し(視考力)、それを絵図にして解く→「遊び」場面からの発生
(遊びは子が、自分の頭で設計図を作り、それを再現化すること(例:頭の中に船や城のイメージがあり、それを積み木で再現するなど)だから)
糸山メソッドで特徴的なのは、「読み・書き・計算」の単純繰り返しをすると、視考力の発達が阻害されるので「計算ドリル・漢字ドリル・音読」の宿題は禁止、という点です。
しかし子育ちでは就学前の6才までに
遊びの場面で自分の遊びを組み立てる(イメージを遊びとして再現する)こと、
生活場面で指示をして子が「イヤ」という(子のイメージの中で指示が再現された上で拒否する)、
そして母親が物語を語り返すことでイメージを言語化する力を養っているので、糸山さんのいうところの「視考力」が鍛えられているので、宿題にも耐えられる、というお話でした。
子育ち理論とは、なんという緻密さを持って組み立てられているのか、と改めて実感したのでした。
さて、前置きが長くなりましたが3日前くらいからSunに
家事も一段落したところで、夫がMoonを外に連れ出してくれ二人きりになりました。
どんぐり俱楽部では「好きな飲み物とお菓子をお供に楽しく」「通常とどんぐりタイムを区別できるような雰囲気が大事」と言われていますが、
子育ち的に食べることは「生活場面」として区別したいところ。
ですから、始める前に普段はおやつに出ないジュースを飲むことで「特別感」を演出。
飲み終わったところで、ダイニングテーブルから机上空間に移動してどんぐり問題に取り組みました。
Sunはイチョウの葉っぱを2まい描きました。
パパッとかたつむりさんを描きたところで「描き終わった」感が漂います(;^ω^)
8と書いた後に「はちまい」と書きました。
(色が薄い上に、黄色や茶色など淡い色を使っているので、ほとんど見えませんね(;^_^A)
と、一服しに席を立ちました。
おしまい
「読むのは1回。一行ずつ、丁寧に読んであげて描く」のがルールです。
Sunは「こうえんにかたつむりさんがあつまっている」というのから浮かんだのは「あじさい」でした。
梅雨の時期、あじさんを見ては「かたつむりさんが食べるんだよ」と言っていたSunのイメージでは「かたつむり=あじさい」のセットになっているようで、あじさいとかたつむりを描いて満足して「集まっている」はスルーだったのでしょう。
そして、「落ち葉」のくだりでも「イチョウ」を描いて満足。
ついつい私は答えを導こうと「落ち葉集めしてるんだって」「ひとり2枚ずつだって」とルール違反の言葉がけをしてしまっています。
う~ん、ルール通りってなかなか難しいです。
実は、糸山さんから「半年間は全くのお絵描きでいい」とアドバイスいただいたのです。とすると、私の一言は全く余計だったかもしれません・・・。
ついつい「言葉どおりにやろう」というオトナの価値観が入ってしまいますね。
そして、おやつを食べてからの後半の問題がまた難しかったのです(´Д`)
その様子は「後編」としてまた書きますね。
To be continued・・・
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