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子の未来の姿を信じるということ

Sunの物語
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Sunの学校では、今トラブルが頻発しているようです。

初めは10月の最終週のことでした。

Contents

事件のあらまし

10月26日(月)

男子トイレの小便器の水洗蛇口(用を足した後、蛇口を手でひねって水を流す古いタイプ)が脱落。

最初に子どもから報告があった時は床に落ちていた。

先生が確認に行くと、大便器の水たまりの中に落ちていた。

これを問題とし、3年男子は昼休み中に集められ30分程度説教。

今日は犯人捜しはしないけれど、次に同じようなことがあったら、先生が見ている前でトイレに行ってもらう、と釘を刺されたらしい。

教室から退室の際に1組男子が電車ごっこをしていた。

Sunの担任の先生は「楽しそうに帰るんじゃない!」と激怒。

教室に戻り、女子に対しては「大きな声を出してごめんね。先生お昼食べてないからイライラしちゃったかな」と言う。

11月2日(月)

男子トイレにトイレットペーパーで遊んだとみられる痕跡。

3年男子は再び集められる。

「誰がやったのか?名乗り出るまで、先生が名簿にチェックして、見ている前でトイレ使用するように」

女子も「授業中や給食中などのトイレ使用禁止」とのこと。

と言われた、というのがSunからの話です。

先生方の指導方針の現状

まるで刑務所のような監視下でのトイレ使用のあり方は非常に管理的です。

子に対して

「お前らはきっと何かしでかすに違いないから見張っている」

という見方をしている現状。

【ゴーレム効果】と【観測者効果】

ゴーレム効果

教育心理学の用語で「ピグマリオン効果」というのは一般的によく知られていますよね。

アメリカの教育心理学者ローゼンタールが行った実験により、

無作為に抽出し「より能力がある」と伝えられた生徒達の成績が本当に伸びた、

という教師期待効果のことです。

この「ピグマリオン効果」の反対用語が「ゴーレム効果」です。

「能力が低い」とレッテルを貼られた生徒は、

本当に成績が伸びなかった、ということです。

観測者効果

量子力学における「光は粒子か波動か」という論争における二重スリット実験で、

素粒子は、何もない状態では「波動」として振舞い、

観測という行為が加わると途端に「粒子」として振舞うという結果でした。

つまり、観測したことにより素粒子は物質化する、ということが言えます。

「教育」とは相手の未来を信じること

先生方の子を全く信頼していない管理体制が

トラブルの頻発を引き起こしている一因ではないか、と感じます。

先日幼稚園のPTA研修会で34年間教職につかれた元校長先生である、

近藤聡先生のお話をお聞きしました。

近藤先生はなんと小6の京都の修学旅行を「現地集合」という驚きの手法をとられました。

これは、本当に子を信頼していなければなしえないことです。

子は「信じられている」と感じるからこそ、

自分の頭を働かせ、主体的に考え行動しようとします。

今回の出来事について、

監視下において締め付ければ締め付けるほど事件を起こした当事者は名乗れません。

連帯責任を負わせることは、

誰かが失敗したらみんなが叱られる・・・これでは仲間への信頼感は全く育ちません。

トラブルを起こした子はもしかしたら、

どうしようもないイライラを抱えて、助けを求めての行動の表れかもしれません。

本当の教育とは、全員が軍隊のように一糸乱れぬ姿を先生に披露することでしょうか。

Sunは、この日のトラブルの出来事を憤慨しながら語るとともに、

Sun
Sun

でもね、体育の表現活動は楽しかった!!
先生がね、私たちのグループを褒めてくれたんだよ!

今日のお題は「ポップコーン」
ポップコーンて、最初の一つがはじけだすと、
次々にはじけていくじゃん?

だからね、最初はみんなでかたまって集まってて、

班の中の元気なYくんが最初にはじけるの。

で、ずーっとポンポンポンポンて最後まで回り続けてるの。

そのうちに、私、YTくん、Aちゃんがはじけていって、
タンタンタンタン!!
て、最後のリズムでみんなで合わせるんだ。

練習の時はなかなか合わなくてね~。
班長のYTくんがすごく気合い入って、合わせようとしてくれて。

でも、本番になったらピシっとあってさぁ。

そして、たった2グループしか褒められないなかに私たちのグループがはいったんだよぉ。

楽しかったなぁ~。
トイレ事件は疲れたけど。

と、身振り手振りを交えて、

ありありと語ってくれました。

一人ではできないことを、

仲間で話し合って、工夫を出し合って作り上げた表現活動だったこと

その工夫をちゃんと先生は認めてくれたことそれがいかに嬉しかったか・・・。

これこそ、学校教育のありがたさであると感じます。

良いところは良いと評価し、

人としてあるべき行動でないことは、

こういうことは非常に悲しいことだ、と諭す。

大きな声で怒鳴られなくても、

大事なことを、信頼する先生から話されていることを感じれば

きっと伝わるでしょう。

信じても、裏切られて、裏切られて・・・

先生方からしたら、「信じることが間違っているのだろうか?」

と思われるくらい裏切りの連続かもしれません。

でも信じてくれる人がいる、

そう感じるから頑張ろうと思えるのが人間の成長の姿ではないでしょうか。

【信用】とは、過去の姿に重きを置き、

その姿を評価して信じること。

対して、【信頼】とは

その子の良い部分に光を当て、

「きっとあなたなら大丈夫」という

未来の姿を見ようとして、信じて任せること。

人を育てる上では、この「信頼」が何より大事ではないでしょうか。

今日言ったから、明日から変わる・・・

そんなにシンプルにできていないのが人間です。

今目の前で、だらしなく乱れているように見えるその子のあるべき姿でしょうか。

「そんなんじゃない、君にはこんな素晴らしい姿がある。

こんな立派な大人になって、

未来ではきっとこんな風な輝いている姿になっているだろう」

その子の未来を信じられるのか

その子の輝く部分に光を当てて、

見ようとしているのか?

常に問われ続けているのが「先生」という立場にある人の役割ではないかと思います。

私も教育者の端くれとして、つねにその意識を持つことを意識しています。

このことは、学校と話し合う必要性を感じています。

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