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タブレット学習では学べないこと

子育ち理論編
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2020年、入試改革の波が訪れ革の波が訪れ記述式出題が検討されたり、

英語の4技能評価、そして活動歴への評価。

活動歴への評価とは、高校時代に取り組んできたこと。

研究だったり、部活動・課外活動など、

その子がどのような「学びへの意欲」を持っているのかが見られます。

これまでも推薦入試やAO入試で「活動報告書」で書類選考されていましたが、

それが、一般入試にも取り入れられる方向とのことです。

教育ジャーナリストの渡辺敦司さんは

「大学は偏差値で測れない時代になる。

どんな生き方をしたいのか。

そのために必要な力は何か。

この視点で大学選びをする時代」

だと話します。

だからこそ、親に必要なことは、

子どもの興味関心によりそい、

それが深まるような環境設定です。

「知りたい」意欲を持って学ぶ人材が求められていきます。

Contents

タブレット学習に懸念すること

2月から勤務校でも子ども達一人一人にiPadが配布され、

タブレット学習が始まりました。

中央教育審議会では

「令和の日本型学校教育の構築をめざして、

全ての子供たちの可能性を引き出す、

個別最適な学びと、協働的な学びの実現」

の一つとして、ドリルパーク(ベネッセ提供)というコンテンツにより、

一人一人のつまずきポイントが把握でき、

そのデータが蓄積されていくことで、

教師は「生徒の学力を把握できる」

「生徒は自分の苦手分野が分かり、

勉強しようとするモチベーションがあがる」

と算数の事例が紹介されたりしているようです。

しかし、現場で実際に取り組む様子をみている私としては、

ドリルパークで育成できるのは、

教科書レベルの計算等の習熟にすぎません。

従来の計算ドリルが電子化されただけの

まったくもってパターン学習です。

パターン学習を強化されてしまうと、

一目ではわからない、思考力が問われる問題にたいして

「面白そう!」とは感じず、

「メンドクサイ」「やりたくない」

と取り組むことすらできなくなってしまいます。

人生には、答えのない問題の方が多いのです。

人間関係も仕事も子育てもしかりです。

「正しい」とか「間違っている」という二元論ではなく、

目の前の相手の様子から

試行錯誤を重ねていって、目指す姿を求めていきますよね。

小さいころから、「分からない」ことに対して、

タネのわからない手品を見せられた好奇心旺盛なこどものように

「え?どういうこと?面白そう!こうかな?」とは感じられず、

「は?メンドクサ。

そんなの分かんなくても死なないし」といって、

その場だけの快楽に走ってしまうことは、

人生の楽しみを大きく減らしてしまうのです。

ICT教育に必要なもの

いまから7年も前から、今後のICT教育について懸念を示している方の

意見をみつけました。

「言葉の森」という作文指導教室のHPの記事です。

「ネット教育に必要なのは、ITテクノロジーではなく教育への哲学」

以下その記事から、長文ですが重要な示唆をされていると思ったので、

引用させていただきます。

インターネットを使った教育には大きな問題点として4点を挙げられています。

 第一にゲーム化できるような教材は、低学年の初歩的なものに限られるということ。
 

 第二に、勉強の内容が身につくのは、先生に教えてもらったり、画面に見入ったりしているときではなく、ひとりで静かに内容を反芻しているとき。
 ネットの勉強の面白さが、かえってその本当の勉強を定着させる時間を減らしてしまう可能性があるのです。

 第三に面白い教育というものが、人間の動物性を助長するような面白さになりがちだということです。
 それが、特に低学年のころに集中して行われることに、大きな問題があります。
 幼児や低学年のときに、刺激と感覚で面白い勉強の仕方を味わうと、確かに知識は多少は早くつくかもしれません。

しかし、それによって、衝動的、感覚的、物質的、自己中心的な感性が身についてしまうのではないかと思うのです。


 数学者の岡潔(おかきよし)氏は、「情緒と想像」という著書の中で、幼児期に衝動的な判断や物質主義的な考えを持たせてしまうことの危険性を繰り返し述べています。


 ゲーム的な面白い勉強を低学年のうちにさせることによって、かえって人間らしい成長を阻害してしまう可能性があるのです。
 そして、学年が上がり勉強が高度になるにつれて、ゲーム的な面白い勉強というものは次第に作れなくなります。

本当は、高校生ぐらいになれば、勉強そのものの持つ面白さに目覚めていくものなのです。

 第四は、教材や授業がリッチコンテンツになり、ゲーム的な面白いものになるにつれて、
その教材作りを担うのが、資本のある大企業に限られてくるということです。


 教育は、社会全体の関心事です。
 子供にどういう勉強をしてほしいかを決定するのは、本当は親を中心とした社会全体でなければなりません。
 だから、教材や授業は、手作りが可能な範囲で、いつでも誰でも作成や編集に関与できるものであるのが理想なのです。
 ところが、ネットで提供されるゲーム的な面白い勉強というものは、その理想と逆行する旧時代的な教育になる可能性が大きいのです

 以上、ネット教育について、四つの問題点を挙げました。
 教育に生かすネットの可能性はまだ未知の部分が広範囲に残っています。

 だから、ネットを使った教育を考えるときに大事なのは、ITテクノロジーではなく、教育についての哲学なのです。

https://www.mori7.com/index.php?e=2072

親にできること

生活圏内を歩き回り、じっくりと周りの環境を味わうこと、

見たものを模倣して遊ぶこと。

我が長男は男の子あるあるではたらく車が大好き。

工事現場ではジーッと見入ります。

地盤改良工事の柱状機が動く様子に魅せられるOcean。

特に、土がモコモコと盛り上がるのが特に面白かったみたい。

それを花はじきで再現していました。

「ウイーン。グイングイングイン」と再現遊び。

遠藤さんに花はじきを追加注文しておいて良かったです♪

家事を通して、生活すること。

先日お風呂掃除しようかと声をかけたとき、

Ocean
Ocean

Oceanがひとりでやるから。
ママはこないで。

と言いました。

スプレー洗剤を私がやるようにシュッと横に振りながらかけ、

スポンジでこすりあげる姿。

浴槽の壁も底も、磨き残しのないように、

気を配る様子がありました。

生活をなるべく不便にして、淡々と積み重ねることの大切さは、

遠藤さんがずっとおっしゃっていたことです。

それこそが新時代の学力を育てる土壌であること、

教育に必要な「哲学」であることを感じました。

私は今年度幼稚園のPTA会長をしていましたが、その充て職で

小学校の評議員もしていました。

校長先生から、タブレット学習の件についてお話があった際も、

上記のような懸念があることをお話してきました。

今後も注意深く動向を見守っていきたいです。

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