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日本語脳とわらべうた~英語教育やめました~

英語教育
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今私は、月に一度次女Moonが卒園した幼稚園にて

わらべうた遊びの会のボランティア活動をさせて頂いています。

伝えるからには正しい知識を!ということで、

名古屋コダーイセンター主催の「子育て支援者のためのわらべうた講座」

の通年講座の受講を決意。

本当を昨年から始めようと思っていたのですが、コロナ禍により延期(;´・ω・)

今年度はZoomによるオンライン講座が開催が決まり、

その第1回目の講座が13日に行われて、参加してきました。

私のわらべうたとの再会は、Sunの早期教育の教材のなかで、

この本とCDがあったことが最初でした。

自分も昔「花いちもんめ」や「あんたがたどこさ」のまりつき

「ゆうびんやさん」の縄跳び遊びなどで遊んだな~という記憶もありました。

でも、同じ教材を買ったママ友は

「なんかわらべうたって怖くない?」って言うのです。

華やかな伴奏もないし、大きな声を張り上げることもない

女性の穏やかな声で、静かに歌われるCD音源は、

「なんだか怖い」というのもうなづけて、

あまり生活の中でとりいれることなく過ぎてきていました。

しかし後に受講した子育ち講座のなかで、

遠藤さんが「子育ちにわらべうたはなくてはならないものだよね」と

言われたことから、子育ち理論研究所のえんどうまめ子さんのわらべうたあそびの会に

何度も参加させてもらい、わらべうたを歌うと子も落ち着くこと、

そして何より、わらべうたを歌う自分自身の声に癒されることを実感したのです。

そして最近勉強したことではありますが、なぜ日本人が情緒豊かだといわれるのか?

それは英語などの外国語と比較して、日本語の構造の違いだということなのです。

Contents

日本語の特殊性

東京医科歯科大学の教授で聴覚言語分野が専門の角田忠信氏によると・・・

角田氏が1987年1月のキューバのハバナの国際学会に出席したところ、

会場を覆わんばかりのものすごい虫の音が聞こえたそうです。

しかし、周囲の人に「すごい虫の音ですねぇ」と言っても、

「何も聴こえませんよ?」と言われるだけ。

まるで蝉時雨のようなのに!

なぜ日本人の自分には聞こえるのに、西洋人には聴こえないのか?

そんなところから研究が始まったそうです。

脳の構造として、

右脳は音楽脳として音楽や機械音、雑音処理を担い、

左脳では言語脳として人の声など論理的、知的処理を担います。

この構造は日本人と西洋人では変わりありません。

ところが、西洋人が虫の音などは右脳(音楽脳)でとらえるところ、

日本人は虫の音を左脳(言語脳)で捉えていたのです。

つまり、単なる雑音処理ではなく「虫の声」として聴いているというわけです。

これは、日本人とポリネシア人だけに見られる特徴で、

同じアジアでも中国人や朝鮮半島(韓国・朝鮮)の人々も西洋型なのだそうです。

そして、日本人でも6歳頃まで外国語を母国語として育てられると西洋型となり、

外国人でも日本語を母国語として育てられると日本人型になるということです。

日本語の特殊性

なぜこのような違いがでるのか?

それは、日本語とポリネシア語と外国語の構造の違いだということです。

日本語は世界の言語でも珍しく母音と子音が分かれており、

母音主体の言葉です。

アイウエオそれぞれに意味がありますよね。

ア・・・あ、しまった!あ、いけないの「あ」

イ・・・胃や井

ウ・・・鵜や兎

エ・・・絵や柄

オ・・・尾や緒

など、母音一文字でも意味があったりします。

これは、他の言葉にはない特殊な事情だそうです。

対する英語などでは、子音が主体の言語。

速記術では母音は省かれて書かれるそうです。

英語を英語らしく発音するには子音を特に意識して発音することが求められます。

自然音というのは母音主体です。

ためしに今耳を澄ませて自然の音を感じてみてください。

今夜は暑いので、虫が鳴いていますね。

ジイ~~~~~

朝になれば鳥が鳴くでしょう。

ぴりりりりり~~~~

風が木々を揺らす音、小川のせせらぎ、雨音、波音、虫の音、動物の鳴き声・・・

自然音は母音主体です。

母音を聞き取る文化を持つ私たちは「言語」として捉えられるのです。

ですから、声なき声を聞き取る情緒性が育まれる情緒性につながっています。

人も虫もともに「生きとし生けるもの」として等しく

自然界のあらゆるものに神宿り、

人間はその一員にすぎないという日本古来の自然観につながります。

これは、和歌や俳句などにも多く詠まれていることからも分かりますね。

また、日本語は声にならないものにも音をつけてしまうという特殊性があります。

「擬声語」:わんわん,こけこっこー,おぎゃー,げらげら,ぺちゃくちゃ等

「擬音語」:ざあざあ,がちゃん,ごろごろ,ばたーん,どんどん等

「擬態語」:きらきら,つるつる,さらっと,ぐちゃぐちゃ,どんより等

「擬容語」:うろうろ,ふらり,ぐんぐん,ばたばた,のろのろ,ぼうっと等

「擬情語」:いらいら,うっとり,どきり,ずきずき,しんみり,わくわく等

https://www2.ninjal.ac.jp/Onomatope/column/nihongo_1.html

このように擬声語や擬音語などが高度に発達しているのも日本語の特徴です。

わらべうたには、こうした擬音語や擬態語などが非常に豊富です。

日本文化の多様性

これ以降は、ゆにわの教えからです。

日本人はお正月には初詣に神社に行きますが、

ハロウィンやクリスマスも宗教性は抜きにしてイベントとして楽しめるし、

結婚式だって、クリスチャンでなくても教会で聖書に手を置いて誓うし、

なんでもござれの文化を持っています。

食べ物にしても、

天ぷらは元々ポルトガル料理から、

カレーもインド、ラーメンは中国からのルーツを持っています。

日本食というのは世界中の料理の融合なのです。

こんなことからも日本文化は世界の様々なことを受け容れ、

融合して包み込むという構造を持っています。

地球がこのような構造を持っており、

その周波数は7.83~4Hz(自然の調和周波数)

=シューマン共振と言われています。

虫の音や風の音に耳を傾け癒されるときの

脳の周波数はこのシューマン共振の状態で、

これは、人のピークパフォーマンス状態、

つまりゾーンに入っている状態と同じだそうです。

日本語脳を持つ私たちは、この周波数に入りやすいと言えます。

それは、島国で資源がなくあるのは「和」の精神で、

海外の文化がいかに他と差別化して個を際立たせるか、というところ、

日本文化は

・バラバラのものを一つに結び付ける

・来たものを受け容れて、より発展させて包み込み、

敵をも味方にしてしまう器・・・

だったりするそうです。

日本語脳とわらべうた

わらべうたを知り、遊ばせ遊びをしていくことは、

日本の民族や、考え方、感じ方について多くの情報が含まれていることを感じます。

日本民族としての伝承そのものがわらべうただったのです。

しかし、その伝承はもはや途切れてしまったとも言えます。

幼稚園や保育園の先生でさえ、わらべうたは知らない人が多いのが現状です。

国際化の時代に必要なことは、外国語を身につけることではなく、

わらべうたを通して、日本人の大切にしてきた感覚を知ったり、

文化に触れたりすることで、

日本人としてのアイデンティティーを持つことではないだろうか、と思います。

英語教育について

私は以前、廣津留真理さんの著書を読み、

毎日すこしずつでも英語に触れていく・・・と言っていた時期がありました。

寝る前の5分を英単語や英語の歌を練習するというのを3か月くらい続けました。

しかし、Moonは早々に「私はやらない」というし、

Sunも「今日はできませ~ん」と言って断られる日が続き、

これは違うのかも・・・と思い始めた時に、

角田教授の著書「続 日本人の脳」の中に外国語教育への懸念が書かれたところがありました。

以下一部引用します。

幼児外国語教育への疑問の章より

 現代の知的競争の激しい社会は確かに知的人口を増大させたが、

その一方で青年層のやる気のなさや創造性についての批判を、耳にすることが多い。

学童でも手先の不器用さ、危険に対する防御反応や

反射運動の鈍さなどが問題になることが多いが、

現在の知的に傾いた教育内容でさえすでにその歪みが目立つのである。

個体発生は系統発生を繰り返すと言われるが、人類が言語能力を獲得し、

特に文字を利用するようになったのは、たかだか数千年前のことに過ぎないから、

人類が誕生してからの歴史の長さに比べればほんの一瞬といえよう。

幼児期の柔軟な脳は驚くほど効率よく知的な学習効果を上げるかもしれないが、

我々は目先の利益だけに捕らわれて、本質を見失ってはいないであろうか、

人類の永い歴史が示すように、人間は知的である以前に、

まず動物である。

そのために、強い体力、秀れた感覚と運動能力、

手先の器用さなどを徹底的に鍛えておくことを忘れてはなるまい。

動物的機能の出来上がる過程で

最後に知的学習に入るのが順序というものであろう。

 知的学習や言葉の獲得はプラス面だけではなく、

たくましく生きる人間の基本となる動物的な能力の発達にとって負の働きをする可能性

があることを考えると、幼児期からの外国語教育を推進することには疑問を感じる。

「続 日本人の脳」角田忠信著 P124~125

という一節です。

この本は1985年に出版されており、もう30年以上が経っています。

この時代の幼児外国語教育から比べれば、

はるかに幼児外国語教育は過熱しています。

AIが発達し、翻訳がわずか数秒でできるという話もあったりします。

外国語はただのコミュニケーションツールだとすると、

それを使って相手に何を伝えるのか?

そちらの方がはるかに大事なことは明らかです。

また、英語教育を模索する中で、

料理研究家の行正り香氏の著書を読みました。

彼女は英語がからきしダメでしたが、

一念発起して留学し、苦労の末にペラペラになったという話です。

この本からも、本人のスイッチが入れば、

いつからでも英語は習得できることが分かりました。

そのため、今はしっかりとわらべうたや語りによって、

日本語脳を鍛えておくことの方が優先事項だと思われ、

英語を毎日取り入れる日課は止めたのでした。

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